numan編集部
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ほの暗く、ほんのり湿り気を帯びた作風で人気のBL漫画家・暮田マキネ先生。傷つき、孤独な二人が惹かれ合う物語はいびつさゆえに純真。愛の深淵を繊細な筆致で描く「しっとり系BL」の旗手・暮田先生が、今年デビュー10周年を迎え、11月9日から個展を開催予定なのだそう。
個展開催を記念して、BLデビュー作『僕の可愛い酔っぱらい』から、最新刊『オッズ・アンド・エンズ』の制作裏話、そして11月上旬に開催予定の個展への想いまで、暮田先生にこれまでの歩みを振り返っていただきました。
幼少期から警察官を志望していた大学時代、「死にかけた」というブラック企業勤務から漫画家を目指すまで。そして“福祉BL”といわれた経験があるという、暮田先生が作品を描く上で欠かせないテーマなどまで語っていただきます。そこには自身の境遇から感じた経験が活かされているのだとか。
INDEX
――まず、先生の子供時代について教えてください。
暮田マキネ先生(以下、暮田):
山梨県の出身で、幼いころは祖父母と両親、弟の6人家族でした。父は山梨と東京の二拠点で会社を経営していて、母は専業主婦。父は金曜の夜に帰宅して月曜の朝には東京に行ってしまうので、あまり一緒に過ごした記憶はないですね。
――子供のころから絵はお好きでしたか。
暮田:
特に絵が好きだったという記憶はないのですが、先日久しぶりに実家に帰ったら柱に子供のころ描いたお姫様の絵が残っていたので、手習い的な感覚で描いていたようです。
うちは書籍など文化的なものが置いていない家で、何を見て「描こう」と思ったのか……たぶん当時放送していたアニメの影響だと思います。
――当時はどんなアニメをご覧になっていましたか。
暮田:
地方なので、首都圏より放送が遅れるんですよ。最終話まで放送してくれないこともザラでしたし、たくさん触れる機会があったとはいえない環境でした。オタクにあるまじき…ですね(笑)。そんなわけで、放送しているものは一通り見る、みたいな感じでした。
そこから絵が好きになったのは、周りの人達が褒めてくれたことも大きかったと思います。ただ、私の生育環境には文化的だったり芸術的だったりするものが乏しかったのと、年齢や時代的にも「漫画家」という存在が身近ではなかったので、絵で仕事をするならデザイナーかなと安易に考えて、将来の夢をデザイナーと言っていた時期がありました。当時は絵が描ける=漫画家という発想が、まったくなかったんですよね。
――漫画はお読みになりましたか。
暮田:
小学生になるとりぼん(集英社)を読むようになって、見よう見まねで漫画の絵を描いていましたね。それと、当時はイラストの多い少女小説がすごく流行っていて、私も友達と交換しあって沢山読んでいました。「イラストや漫画としての絵」を意識し出したのは、この辺りかも。
それから、いとこがよくうちに泊まりに来ていて、そのたびにいろいろなコミックスを置いて行くんですよ。その当時の成人男性のセレクトなので、手塚治虫先生の『ミッドナイト』(秋田書店)や鴨川つばめ先生の『マカロニほうれん荘』(秋田書店)とか、ぱっと見小学生女児にはとっつきにくいものが多かったけど、先述の通り漫画のない家なので、いとこの置き本を毎回楽しみにしていました。
――漫画を描きはじめたのはいつ頃でしょうか。
暮田:
小学生のころには、コマを割った漫画のようなものを描くようになっていました。特にきっかけらしいきっかけは思い当たらないのですが、学級新聞でクラスメイトを登場人物にした4コマを描いたら評判が良くて、漫画だけ描くようになった……みたいな感じだった気がします。
中学生になると、好きな漫画やアニメのファンアートや二次創作を描くようになりましたが、基本、周囲には内緒です。ノートに描いたものを、ごく親しいオタク気質の友達とこっそり見せ合ったりする日々が高校まで続きました。それはそれで楽しかったし充実もしていたけど、窮屈には感じていて。東京の大学に進学したのも、地元にいてはオタクであることを隠したままでいなければいけない…それはしんどい…! という思いからでした(笑)。
――では、漫画家という職業を意識しだしたのはいつ頃でしょう。
暮田:
漫画やイラストは小学生のころから描いていましたが、それを職業として捉えはじめたのは大学生くらいだと思います。大学入学を期に上京して、はじめてプロの漫画家さんのアシスタントになったのですが、自分がデビューすることは考えていませんでしたね。
上京してからは「これからはもっと自由にやれるぞ~! 同人誌つくるぞ~!」と、はじめてコミケに参加して。アシスタントになったのは、そこである漫画さんのチーフアシスタントさんと知り合い、「やってみる?」とお声がけいただいたことがきっかけです。
正直、技術面ではお役に立てることはないと思っていたんですが、「それより周りとの相性が大事だから、一度見学においで」と。
ずいぶん後になって、なぜ雇っていただけたのか先生にうかがったんですが、職場の冷蔵庫を勝手に開けたことが良かったそうです(笑)。あまり必要ないことで指示をあおいだりすると、先生の集中力をさまたげることになってしまいます。先生からは「自分の判断で動ける人だと思った」といわれました。
これ当時から笑い話として私は周囲に話してきたんですけど、自分がアシスタントさんを雇う立場になってからは含蓄の深い話だなあと思い返すようになりました。対人の関係に絶対的な正解はないんですよね。
――大学生のときは漫研などに所属されましたか。
暮田:
いやー、入っておけば良かったです! 漫画家さんの中には、アシスタントさんやマネジメントの面で学生時代の友人にサポートしてもらっている先生も多くいらっしゃるんですね。アシスタントはもちろん技術も大事ですが、やっぱり相性なので、気心が知れた相手というだけで気持ちが楽なんですよね。私にはそういう繋がりがないので、今になってちょっと後悔しています(苦笑)。
――漫画家になろうと決意したきっかけを教えていただけますか。
暮田:
学生の頃は、特に自発的に動くことはありませんでした。というのも、父は私が中学生のときに他界していまして、母子家庭でしかも長女……となると、漫画家みたいな不安定な仕事についていいものだろうかと、選択肢から除外していたんですね。
法学部に進学したのも、高校の先生から「つぶしが効く」とアドバイスをいただいたからで、大学生のころは警察官を志望していました(笑)。
――警察官ですか!
暮田:
私はちょっと厳しめの部活に所属していたので、集団の中に身を置くことはできるし、特に一匹狼タイプというわけでもないんです。だから警察官は私にとって、決して遠い職業ではなかったんですね。
それと、大学に進学するにも奨学金を借りて、親戚の援助も受けて…という状況だったので、立派な職業について世間に恩返しをしなくてはと思っていました。
――そこから、本格的に漫画家を目指すきっかけがあったのですか。
暮田:
学生の頃は漫画を仕事にすることより、とにかく人目を気にせず絵を描けることが大切で、「同人誌作るの楽しいし、それでいいか~」という感じでしたね。
大学を卒業したあとは一般企業に就職しましたが、そこがとんでもないブラックで。激務が祟って一度死にかけたことがあったんです。
ある日、横断歩道を渡っていたら大きなクラクションが聞こえて、ハッとなったんですね。どうやら信号が赤なのに、無意識のうちに歩道に飛び出していたようなんです。運転手のお兄さんに「死ぬよ!」と叱られたことは覚えているんですが、赤信号を渡ろうとした記憶もないし、自分でも何が起きたのか把握できませんでした。家に到着するまでの間にようやく状況が飲みこめて、「ああ、今死にかけたんだ」と。
――ご無事でなによりでした…!
暮田:
でも、この出来事を機にすごく気持ちが楽になったんです。「そうだ、これまでの私は死んだことにしよう」って。そこで会社は辞めて、一年間だけ本気で漫画家を目指すことにしました。
それをアシスタントでお世話になった先生に話したら、「本気でやるならサポートするよ」とおっしゃってくださって。当時も自慢できるような技術はもっていませんでしたが、それでも破格のお給料で雇っていただけて、すごく助かりました。
――いよいよ漫画家への道がひらかれましたね。
暮田:
先生からは「サポートはするから、その代わり一カ月に一度は投稿するように」「ネームも見せて」といわれました。達成できなくて、よく怒られたりもしましたが(笑)。
しばらくして経済的にも精神的にも余裕が出てきたので、このタイミングでデジタル作画の勉強もしました。
持ち込みはいろいろな編集部に行きましたね。当時、編集さんのご指摘で「キャラクターの鼻が高すぎる」というものがあって、なるほど…となりました。たしかに、とある漫画家さんが描くキャラクターは、鼻が低いのにとても美形。ようは顔全体のバランスなんですね。
自分の絵はとかく「これが正しい」と思い込みがちだし、大事な学びを得た出来事でした。
――そして、渡辺しま名義での作品『えすとえふ』がヤングガンガン(スクウェア・エニックス)で入賞されました。
暮田:
「ヤングガンガンが合うんじゃないか」とアドバイスしてくれた友人がいまして、さっそく編集部に電話をしました。そのとき編集さんに「私は年齢もさほど若くないし、早く仕事がしたい」と相談したところ、「それなら、結果が出るのが早い月間賞がいいでしょう」と。無事に賞をいただくことができて、のちに連載となりました。
漫画家になると決意してから一年以内に達成できたことなので、それは良かったなと思います。でも、私も頑張りはしましたが、今にして思うと足りていない部分も多かった。そこを運とご縁に助けてもらった気がします。
――商業BLデビュー作は『僕の可愛い酔っぱらい』(大都社/旧版、竹書房/新装版)ですね。
暮田:
『エスとエフ』の連載準備をしていた頃には、すでにこちらの連載も始まっていました。ただその間に3.11の震災があったので、この先どうなってしまうんだろう…という不安の中で描いていましたね。やっぱりエンタメは、世の中が平和でないと成り立たないですから。
――『僕の可愛い酔っぱらい』が単行本にまとまったのが2014年。足かけ四年にわたるお仕事でした。
暮田:
当時の電子漫画は今のページビューと違い、コマごとの配信でした。そのぶん大勢の漫画家にチャンスがありましたが、紙の本が圧倒的に強い時代だったにも関わらず、単行本化の確約がないのが普通で…。今思い返してみても、なんでコミックスにしていただけたのか謎です(笑)。
おかげさまで、このあとも途切れることなく商業BLのお仕事を続けさせてもらっています。昔からいわれていることですが、BLの読者さんは新人に優しいんですよ。他ジャンルでは新人の作品を手に取っていただくのは難しいと思うんですが、BLでは「新しい作家が現れた」と、前向きに捉えていただけることが多いようですね。
――たしかに、BLは新人がデビューを飾るのに適したジャンルともいわれていますね。
お試し感覚で購入してくださる方が多いのかもしれません。
暮田:
BLは1巻完結の作品が多いので、手に取りやすいこともあるのかもしれません。また当時は今ほど発行点数が多くなく、読者さんの目にとまりやすかったことも幸いしたと思っています。
――最新刊『オッズ・アンド・エンズ(上)(下)』(白泉社)についておうかがいします。全寮制の男子校ものですね。
暮田:
実は本作を描くきっかけは、生田斗真さん主演の映画『土竜の唄』なんです。原作を読んでいないので比べようがないのですが、映画はとても良かった。主人公は警察学校時代に同期といろいろあるのですが、そのわずかなシーンで胸がワッとなって、急に「全寮制ものが描きたい!」と。一緒に行った友人には、「なんで?」と不思議そうな顔をされましたが(笑)。
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