宮本デン
音楽と酒とネット文化、そしてアニメ・ゲームに心酔するサブカルライター。大衆が作り出すカオスがどこまでいくのか見届けたいという思いで、日々執筆活動を行っています。表現に対する深読みや考察が大好きなオタク。あなたの好きなカルチャーを、深く独自に掘り下げます。
2024年7月26日(金)に劇場版の公開を控え、それに先立って7月9日(火)より毎週深夜24時からテレ東系列にて再放送されているアニメ『モノノ怪』。
『モノノ怪』とは近世・近代の日本をモチーフとした国を舞台とし、”薬売り”なる謎の人物が諸国を旅して妖怪が起こした事件を解決する物語です。浮世絵や和紙を用いた美麗な世界観や、妖怪を解き明かす過程で明らかになる人間の虚しさや残酷さ、そして薬売りのミステリアスなキャラクター性が話題を呼び、人気を博しました。
劇中で薬売りが退治する「座敷童子」「海坊主」「のっぺらぼう」「鵺」「化猫」。それぞれ聞き覚えのある妖怪の名前ではありますが、皆様はご存知でしょうか?
今回はそれぞれの妖怪の伝承と『モノノ怪』で描かれる一部の妖怪と照らし合わせながら、その摩訶不思議な世界観を探っていきます。※記事の特性上、『モノノ怪』の内容に触れています。
INDEX
まずは第1話・2話で登場する「座敷童子」から。座敷童子は家や蔵に出る妖怪で、その名の通り子供の姿をしています。見た者には幸運が訪れるといわれる一方で、家から出ていかれるとその家には不幸が訪れるなどという伝承も存在します。
座敷童子といえば3〜6歳ほどの子供を思い浮かべがちですが、今回登場する座敷童子の姿は赤子の姿をしています。もともとの座敷童子が生み出された原因となったのは、厳しい生活を乗り切るための「間引き」あるいは「口減らし」だったと言います。命を落としたあとは土間や床下に埋葬し、せめてもの慰めにと供養され、妖怪として語られるようになったそうです。
一方で、『モノノ怪』では宿屋「万屋」の壁に埋め込まれた無数の赤子の魂の集合体として座敷童子が描かれています。女郎屋であった「万屋」の過去を持つ女主人は、女郎たちが借金を返すため、生きていくための「人助け」として赤子の命を落としてやった、まして供養までしてやってると主張し正当化します。あまりにも多い殺戮の結果生み出されたのが、今作の座敷童子です。
姿形は異なれど、どちらも自分のやってしまったことを悔やみ、供養を行い、そのことに苦しみ続けて救いを求めた末に座敷童子を生み出してしまいました。座敷童子という存在そのものが、最後まで非情になりきれなかった人々の虚しさを反映しているのではないでしょうか。
第3話~5話は「海坊主」。海坊主は全国各地の海に現れる妖怪で、時代や地域によって様々な呼び名や姿形が存在しています。呼ばれる名前の数だけ諸説ある妖怪ですが、おおかた共通するのは「見ないふり」をしていれば問題ないということです。
タイトルこそ「海坊主」ですが、実は海坊主は終盤になるまでほとんど出てきません。それどころか船幽霊や、癖が強めの海座頭(CV.若本規夫)といった別の海の妖怪の方が印象的なお話です。特に海座頭の癖が強すぎる問答は、『モノノ怪』がホラーであることを一瞬忘れてしまうほど。
船に乗った薬売りを始めとした一行は生きて帰るため、海を魔境へ変えてしまった原因となる妖怪を探っていきます。途中紆余曲折がありつつも、最終的に辿り着いたのがタイトルにもある海坊主でした。前述の通り海坊主には様々な姿形や呼び名があるとされていますが、今回の海坊主の正体はある人物の分身であると突き止めます。
その分身とは、自らの醜さや弱さと向き合うことができずにいたその人物が、自分の弱い部分を丸ごと切り離してしまったものでした。弱さと向き合いたくない、見たくないと逃げ出す気持ちは、海坊主の対処法である「見ないふり」と通ずるものがあります。
そんな分身を数十年に渡り「見ないふり」し続けた結果どうなってしまうのか。海の妖怪として有名でありながらも、正体不明とされがちな海坊主について『モノノ怪』では一つの答えを出しています。
第6話・7話で対峙する「のっぺらぼう」は顔に目・鼻・口がついていない人型の妖怪です。人を驚かすだけの妖怪と言われていることもあれば、人の顔を奪い成り代わるなどという恐ろしい話もあります。
7話の主な登場人物は、ある家に嫁ぎ虐げられたお蝶という女性。全体的になんだか少女漫画のような描写が多く、一見するとのっぺらぼうとお蝶の恋の物語のようにも見えてしまいます。
お蝶は良家に嫁ぐために「母の生き写し」であることを、幼少の頃から厳しく強要され続けた人生でした。念願叶って良家に嫁いだあとも虐げられ、家族からはまるで道具のように扱われます。
お蝶の苦しみは「母の生き写し」として他の人の人生を辿ることにありました。自分自身の意志や感情を無視され、常に他人の期待に応えることだけを求められてきたのです。そんな彼女が、他人に成り変わるのっぺらぼうと共鳴してしまうのは必然のようにも思えます。
先述の通り、のっぺらぼう自身には何もありません。しかし、これは裏を返せば何にでもなることができるということでもあります。そんなのっぺらぼうに魅入られてしまったお蝶に対し、薬売りは「出たいと思えば牢になるが、出たくないと思えば城になる」という「自分の気持ちはどこにあるのか」と問う言葉を投げかけます。
「母の生き写し」として生き、自分自身には何もないお蝶。ですが、彼女は彼女自身の気持ちに基づき、行動を実践することによって未来を切り拓いていくことができます。人の望みを叶えようとすることは美徳ですが、それだけでは自分はのっぺらぼうのままになってしまう。そんなことを考えさせられるお話です。
鵺は平安時代後期に京都に出現したといわれる妖怪は8話・9話に登場。姿形は文献によって多少異なりますが、猿の頭・狸の胴体・虎の手足・蛇の尾と様々な動物の体を持つとされています。一説ではそれぞれの部位が異なっているのではなく、見る場所や見る人によって姿が変わる妖怪であるとも言われています。
宮本デン
音楽と酒とネット文化、そしてアニメ・ゲームに心酔するサブカルライター。大衆が作り出すカオスがどこまでいくのか見届けたいという思いで、日々執筆活動を行っています。表現に対する深読みや考察が大好きなオタク。あなたの好きなカルチャーを、深く独自に掘り下げます。
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