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Bimi(廣野凌大)、俳優の道へ進んだ音楽少年が「音楽で2.5次元舞台に恩返ししたい」という想いを抱くまでの軌跡【1万字超インタビュー】

Bimi(廣野凌大)、俳優の道へ進んだ音楽少年が「音楽で2.5次元舞台に恩返ししたい」という想いを抱くまでの軌跡【1万字超インタビュー】

パンク、ラウド、HIPHOP、J-POP、演歌、R&B……1つの枠にとらわれないジャンルレスで独特な世界観の音楽、自身のルーツから培ったスキルとキャリアから培った表現力による圧倒的な存在感。それらを兼ね備えるのは、2023年10月にメジャーデビューを果たしたアーティスト・Bimiだ。

そんな彼の本名は廣野凌大。ミュージカル『テニスの王子様』3rdシーズン(財前光役)、舞台『鋼の錬金術師』(エドワード・エルリック役)など数々の話題作に出演。中でも、彼の存在を知らしめたのは「『ヒプノシスマイク-Division Rap Battle-』Rule the Stage」の波羅夷空却役だろう。たしかなラップスキルと芝居に大きな注目を集めた。

Bimi(廣野凌大)、俳優の道へ進んだ音楽少年が「音楽で2.5次元舞台に恩返ししたい」という想いを抱くまでの軌跡【1万字超インタビュー】

幼少期から両親の影響で洋楽や歌謡曲などジャンル問わず音楽に触れ、「モテたい」を原動力に小学6年生でギターを独学、中高はバンドを組んでGreen DayやONE OK ROCKを演奏。誰がどう聞いても“音楽”で築き上げられた人生だ。「ずっと音楽の道を目指していた」という話にも納得がいく。

しかし、彼が最初に進んだのは“俳優”の道だった。そこには“葛藤”と“妥協”があった。そして、すべてのエンタメが止まった“コロナ禍”をきっかけに再び音楽の道へと進み始めたBimiが今目指すのは、「役者の仲間たちとアーティストの仲間たちの架け橋になること」だ。

アーティスト・Bimiを築き上げた音楽のルーツとアーティストに至るまでの軌跡に迫るとともに、2024年3月13日リリースのBimiの自己紹介となる1st EP『心色相環』の楽曲解説、音楽業と俳優業の両立から思い描く2.5次元カルチャーの未来について、彼の今を詰め込んだ1万字超えのインタビューをお届けする。

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「モテたい」を原動力に小6から始めた音楽、『ヒプステ』空却役が人生の転機に

――まずはじめに、Bimiさんの音楽のルーツをお聞きしていきたいなと。音楽を聴き始めたきっかけは覚えていらっしゃいますか?

Bimi:
音楽を聴いていた一番古い記憶は2歳とか3歳の頃。カセットテープで『ウルトラマン』のテーマソングや演歌を聴いていた淡い記憶があります。

また、SEX PISTOLS(セックス・ピストルズ)やGreen Day(グリーン・デイ)、レゲエのBOB MARLEY(ボブ・マーリー)など有名どころの曲が車の中で流れていましたね。

――『ウルトラマン』、演歌、SEX PISTOLS、BOB MARLEY……かなりジャンルレスですね。

Bimi:
いろんな曲を聴いていました。たくさん聴いていた中でもパンクスがすごく好きでした。当時は何を言っているのかは分からなかったけど、強烈なインパクトが残っています。頭を振って聴いていました(笑)。

特に鮮明に記憶に残っているのは、SEX PISTOLS(セックス・ピストルズ)の「Anarchy in the U.K」という曲。幼くて舌足らずだったため、歌詞は言えていなかったのですが、よく歌っていました。

小学生くらいになると、TSUTAYAに行っていろんなCDを借りて、ウォークマンに曲を入れて聴いていましたね。

――最初は聴くだけだった音楽を「自分でもやってみよう」と思ったのは、いつ頃だったのでしょう。

Bimi:
小学校6年生になって、「モテたいな」と思い始めた時期にギターを始めました。同学年の人たちは運動ができればモテていたので、俺はみんなと違うことをやってモテたいと思って。「じゃあ、ギターだな」と(笑)。

――ボーカルやほかの楽器もある中で、なぜギターを?

Bimi:
一番モテそうだったからです(笑)。歌も好きでしたけど、歌は誰でも歌えるけど、楽器は誰でもできるわけじゃないから、楽器ができた方がカッコいいなと。

とはいえ楽器も、ピアノは習っている友達がいるし、サックスとかの管楽器はちょっと大人っぽいし……一番鳴らしている姿が想像できるのはギターだったんですよね。「ずっと憧れてきたロックスターっぽくてカッコいいな」と思ったのでギターにしました。

Bimi(廣野凌大)、俳優の道へ進んだ音楽少年が「音楽で2.5次元舞台に恩返ししたい」という想いを抱くまでの軌跡【1万字超インタビュー】

――実際ギターを練習し始めてみて、どうでしたか?

Bimi:
最初はずっと「ドレミファソラシド(メジャースケール)」を反復練習していたんですよ。

――コードの練習ではなく、「ドレミファソラシド」は珍しいですね。

Bimi:
珍しいですよね(笑)。コードが苦手だったので単弦弾きから始めました。独学だったこともあり、何から始めたらいいのかわからなくて、ピアノも最初は「ドレミファソラシド」から覚えるから、「とりあえずドレミファソラシドだろ!」と思ったんです(笑)。そこから「コードって何!?」「和音って何!?」「こうするとCでこれがDコードなのか……」と学んでいきました。

ずっと独学で練習をしていたこともあり、最初の1年くらいはまったく弾けなくて心が折れましたよ……。1回弾くのを辞めて、たまに触って、「弾けるようになってきたかも」と新しい技術を習得しようとするものの、「やっぱり弾けない!」を繰り返していました。

なので、ギターは10年近く弾いていますけど、上手くはないです。ギターソロくらいは弾けるものの、速弾きもできませんし……。

――まず、弾けることがすごいことですから……!

Bimi:
ベースやドラムも好きなので練習はしていましたけど、人に聴かせられるレベルではなくて。高校生の時にスタジオで遊んでいて、友達から教えてもらっていたくらいなので、基礎的なことならできるけど特殊なテクニックはできないんですよね。

あと、ピアノだけは絶対できない。唯一弾けるのが「きらきら星」。“ドドソソララソ”なら弾けますよ。片手ですけどね(笑)。

――両手で弾けるのかと思いきや片手(笑)。ギター、ベース、ドラムが弾けるということは、バンドもしていたんですか?

Bimi:
ギターを始めてからバンド文化に触れて、バンド沼にどっぷり浸かっていたのですが、「そういえば昔からGreen DayとかSEX PISTOLSを聴いていたな」と思い出して。改めて聴いてみると、ものすごく衝撃を受け、「かっこいいな……パンクをやりたいな」と中学生の時にコピーバンドを組んだんです。下手ながらギターをずっと弾いていました。

友達に「UVER(UVERworld)とワンオク(ONE OK ROCK)をやったらモテるぞ!」と言われたから、ワンオクやSiMの楽曲を演奏していました。モテることが原動力でギターをやっていたので(笑)。ほかにも、ホルモン(マキシマム ザ ホルモン)やcoldrainなどのラウドロックもすごく好きだったから演奏していました。

Bimi(廣野凌大)、俳優の道へ進んだ音楽少年が「音楽で2.5次元舞台に恩返ししたい」という想いを抱くまでの軌跡【1万字超インタビュー】

でも、ずっと弾いていたのはGreen Dayかな。ビリー・ジョー・アームストロングが大好きで、「同じように墨入れちゃおうかな」と考えてしまうほど(笑)。

実はオリジナル曲も作っていたのですが、恥ずかしくて1回も披露しませんでした。

――その当時からオリジナル曲を作っていたんですね。バンドは高校生になっても続けていたんですか?

Bimi:
続けていました。バレー部に所属していたのですが、バレーそっちのけでずっとギターを弾いていましたよ(笑)。

今一緒に曲を作っているMammonとは高校の同級生で、当時から一緒に音楽をやっていたんです。全くそんなことはないのに、「誰も俺らと仲良くしてくれねぇ……」と、2人でカッコつけていました(笑)。

――高校の同級生と今音楽をしているって青春の延長のようでグッときますね。

Bimi:
高校時代は階段で一緒にご飯を食べながら、俺はロックやパンクス、メタルなどが好きだったのでバンドサウンドの曲をMammonに教えて、Mammonはヒップホップが好きだったので俺にヒップホップの曲を教えてくれました。

もともとRIP SLYMEや湘南乃風などのJ-HIPHOPと呼ばれるライトな波乗りサウンドは聴いていたのですが、がっつり不良文化のヒップホップを聴いたことがなかったんですよね。それまではカッコつけて聴いていたけど、ルーツを辿って文化的な背景が見えてくると新鮮な気持ちになりました。

バンドをきっかけに「音楽には背景が大事なんだ」「俺たちが音楽でぶつける想いはこれかもしれない」と気づきました。

――学生時代からそこまで音楽が好きだと音楽の道へ進もうとする人の方が多いと思うのですが、Bimiさんは役者の道に進んでいますよね。それはなぜだったのでしょう。

Bimi:
最初から音楽の道には行きたかったんですよ。学生時代はずっとバンドを組んでいて、ライブハウスでライブをしていましたけど、なかなか芽が出ずにくすぶっていて。

その時に、今の事務所に入りました。事務所の人に「売れるならまずはこっちの道に進んでみたらどう?」と言われたのが役者のオーディションで、受けてみたら受かったという。それで役者の道に進み、「将来的に有名になって、音楽に携われればいいかな」くらいに思っていました。

だけど、どうしても音楽がやりたくて、タイミングをうかがっていたんですね。そこにちょうどコロナ禍が来たんです。役者をしている間は距離を置いていたギターをコロナ禍で弾き始め、作曲を学び……改めて音楽に触れたことで、やりたい欲が爆発して音楽活動を始めました。

Bimi(廣野凌大)、俳優の道へ進んだ音楽少年が「音楽で2.5次元舞台に恩返ししたい」という想いを抱くまでの軌跡【1万字超インタビュー】

――音楽が出来なかったことに対する憤りみたいなものもあったのでしょうか?

Bimi:
ずっとありましたよ。役者としてミュージカルの舞台に立つこともあり、音楽に携われてはいるけど、俺がやりたいような下品で熱があって人間の汚いところをさらけ出す音楽ではないなと。悶々としていました。だから、コロナ禍で仕事がなくなったので、役者を辞めるか1回悩んだんですよ。

そんな時、「どうにでもなれ!」「受からなかったら役者を辞めよう」と受けたのが『ヒプステ(『ヒプノシスマイク-Division Rap Battle-』Rule the Stage)』の(波羅夷)空却役でした。ありがたいことに受からせていただいて、役者として引き戻されると同時に自分の人生が変わりましたね。

『ヒプステ』で音楽と芝居をやってみたら、「音楽と俳優活動って密接だったな」と気づくことができたんです。だから、『ヒプステ』は全力で取り組んで、終わったタイミングで本格的に音楽活動をスタートさせました。

――コロナ禍に対してネガティブなイメージが多い中、Bimiさんにとっては得るものが多かった期間だったんですね。

Bimi:
自分と向き合える期間だったから、結果的にコロナ禍で仕事を休めて良かったなと思っています。正直に言ってしまうと、俳優の仕事を少し舐めていたんですよね。

でも、向き合ってみると、言葉の立て方やセリフの言い方1つで自然に相手に伝える技術が芝居には必要だと気づいて。俳優としては打撃を受けたけど、自分と向き合う時間ができたことでちゃんと技術を培わないといけないと自覚が芽生えたので、ちゃらんぽらんになる前に強制的に仕事が取り上げられてよかったと思っています。

同時に、失った空白の期間を早く取り戻さないといけないとも感じています。

Zebrahead、Heaven And Hell、たま、ZORN、ホルモン…すべてが今のBimiを築き上げている

――幼少期から学生時代までいろんな音楽に触れてきていたと思うのですが、特に印象に残っている、または今のBimiをつくり上げたアーティストや楽曲があれば教えてください。

Bimi:
いろいろあるから悩むな……。まずは、中学生の時にラウドロックが好きになってハマったZebrahead(ゼブラヘッド)。下品なことをやりきる潔さがめちゃめちゃ好きで、歌詞のオゲレツな感じをBimiにも取り入れています。

アーティストや楽曲ではないけど、ラウドロックではずっとシャウトをしていたので、Bimiの楽曲でも活かされています。

あとは、高校生の時に1番衝撃を受けた、Heaven And Hell(ヘブン・アンド・ヘル)の「Die Young」ですね。

好きすぎて自分でも「Die young」というレクイエムを作りました。

リンキン(Linkin Park)の「Given Up」も好きです。メロディとフェイント、ギターのリフ。「Die Young」もそうですが、簡単なコードなのに、エモい気分になれる。ちょっとワクワクする何かがあるんです。

――洋楽に多大な影響を受けているとは思うのですが、邦楽でも影響を受けている楽曲はあるのでしょうか。

Bimi:
もちろんたくさんありますよ。パッと出てくるのは、たま。7分くらいある「満月小唄」という曲が好きです。歌詞に文学的なエロさを感じます。

ラッパーだったらZORN(ゾーン)がすごく好きです。ライムスキームが日本のトップクラスで半端ない。あまりにもすごいところがたくさんあって、伝えきれないです(笑)。

ほかにも、ホルモンの「恋のメガラバ」「ブラック¥パワーGメンスパイ」もめっちゃ好きです。レッチリ(Red Hot Chili Peppers)も好きなのですが、ベースの上ちゃん(上原 太)がレッチリ大好きじゃないですか。なので、ホルモンの楽曲のベースのスラップをずっと真似していました(笑)。

幼少期に昭和歌謡曲や演歌など様々なジャンルの曲を聴いてきたので、すべてのジャンルをミクチャ―などでBimiの楽曲に取り入れています。

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日本語の使い方や色気のある言葉回しを学んだ、“電子辞書”の存在

――Bimiとして活動をスタートしてから、すべての楽曲の作詞作曲に携わっていますよね。中学時代にもオリジナル楽曲を作っていたとのことですが、ずっとご自身で楽曲を作っていたんですか?

Bimi:
作っていました。一部の友達に聴かせることはあっても、心のどこかで「黒歴史になるんだろうな」と思っていたので、基本は隠していました。この前、ギターケースの中に昔書いたリリックノートを見つけたのですが、恥ずかしすぎて燃やしましたからね(笑)。

――ええ、燃やすなんてもったいない!(笑)リリックノートを書いていたということですが、ボキャブラリーを培うためにしていたことはありますか?

Bimi:
学生の頃、授業中に電子辞書をずっと見ていました。勉強が好きではなかったので、手元にあるものでどう遊ぶかを考えていたんですよ(笑)。「こういう言葉はあるのかな」と頭に思い浮かんだ言葉を電子辞書で適当に調べて遊んでいました。

また、電子辞書で検索したら出てくる短編の文学作品は一通り読みました。内容はほとんど覚えていませんけど、日本語の使い方や色気のある言葉回しは勉強になりましたね。

ゲームも好きなので、中二病のような難しい言葉を使うゲームキャラのセリフとかを覚えていました。例えば、『ドラクエ(ドラゴンクエスト)』の<へんじがないただのしかばねのようだ>とか(笑)。「しかばねってなんだろう?」と電子辞書で調べて、「ああ、そういうことか」と言葉の意味を知る、みたいなことをしていました。そこから電子辞書で調べる癖がついたのかも。

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――今は楽曲を作る際、歌詞先行ですか? それともメロディ先行?

Bimi:
メロ先ですね。トラックメーカーがいるので、一緒にテーマ、キー、BPMを決めてから、トラックを作ってもらって、それを聴いてイメージを湧かせながら歌詞を書いています。

例えば、『心色相環』の「インベーダーインバイト」は、「テーマが宇宙人」「宇宙っぽい雰囲気がある80年代ディスコ」「BPMは遅め」と決め、返ってきたトラックをもとに、「この音を追加してください」「ここは端折ってください」と要望を入れつつ、仮の歌詞を乗せていきました。

「こういう感じはどうですか?」「この要素はここに入れよう」と何回かラリーして作り上げています。

――歌詞を手掛ける上でこだわっていること、意識していることがあったらお聞きしたいです。

Bimi:
等身大でいられたらダサさすらカッコよく感じられると思っているので、自分の身の丈にあった言葉で歌詞を書こうと考えています。自分の中から出てきたリアルな言葉をそのまま書いているだけですね。

思うまま1回ずらーっと歌詞を書き出して、歌って、RECして……それを聴いて、「ここは違うアプローチの方がカッコいいな」と思った部分は、同じ意味だけど違う言い回しの言葉にして歌詞を組み立てています。

あとは、語感と言葉の意味にこだわっていますね。聴き心地が良くて、「どういう意味なんだろう」と歌詞を調べてみると「こいつ頭いいな……」と思ってもらえるような言葉選びはいつも意識しています。

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――1st EP『心色相環』を聴いて感じたのですが、Bimiさんは言葉の中でも日本語がすごく好きなのかなと。そこについてはいかがですか?

Bimi:
俺、英語ができないから、英語をやるとフェイクになっちゃうじゃないですか(笑)。それもあって、『心色相環』の楽曲は日本語が中心の歌詞になっていたのですが、4月放送のドラマ『Solliev0』のために書いた「Safe Haven」は英語詞の曲です。

さすがに不安だったので、「文法的に合っているのか」「こっちの表現の方が良いのか」など監修を入れてもらいました(笑)。英詞を書く時は、今後も監修を入れてもらおうと思っています。

次ページ▼「Bimiの自己紹介にしたかった」1st EP『心色相環』各楽曲解説

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羽賀こはく

横浜市出身。インタビュー記事をメインで執筆。愛猫2匹に邪魔をされながらゲームや漫画を楽しむことが生き甲斐。

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