宮本デン
音楽と酒とネット文化、そしてアニメ・ゲームに心酔するサブカルライター。大衆が作り出すカオスがどこまでいくのか見届けたいという思いで、日々執筆活動を行っています。表現に対する深読みや考察が大好きなオタク。あなたの好きなカルチャーを、深く独自に掘り下げます。
狂児が死んでしまったと勘違いし、狂児の代わりにヤクザのカラオケ大会で『紅』を熱唱する聡実。紅に染まった聡実の姿を、狂児が何か悟ったような表情で見つめます。歌い終わったあとに生きている狂児の姿を見て驚いた聡実へかけた言葉は「聡実くんを置いて死なれへんしな」。
この言葉は「去ってしまった人」として描かれた狂児の「去るわけないでしょ」という至極簡単な『紅』に対する答えです。
そして、聡実側も『紅』への答えを見つけます。
カラオケ大会の後、狂児とは結局連絡が取れなくなってしまいます。聡実の同級生から「マボロシだったんちゃうん」と言われてしまうほどに、狂児とそれを取り巻く環境も徐々に消えてしまいました。狂児の痕跡を探すため、共に過ごした場所をめぐり、まさに『紅』の歌詞のように狂児のマボロシを追い続ける聡実。
ようやく一つの痕跡を見つけた聡実は「おったやん」と嬉しそうに呟きます。たとえもう会えなくなっても、一緒に過ごした時間がマボロシではなかったと確信できれば、それで十分だ、とでも言うかのように。
これもまた「置いて行かれた人」として描かれた聡実による『紅』への答えだと思います。
狂児と聡実はそれぞれ自分の世界のことをよく知っていて、お互いが「本当は関わってはいけない」ということも、少しのきっかけで会わなくなる可能性が高いことも理解していました。だからこそ、一緒に過ごした時間が”ピカピカ”であり、次第にお互いに存在になったのでしょう。
狂児と聡実の間にある感情がどんなものなのか、観た人によって感じ方は変わると思います。ですが、お互いに「大切な人」だと思っていたということだけは『紅』の文脈が教えてくれているのです。
とはいえ、二人は本来であれば“ヤクザと中学生”、“大人と子供”という異なる立場からもわかるように、狂児と聡実には共通点がほぼありません。お互いの気持ちを察することもできず、言葉だけがかろうじて通じている状態です(真意が伝わっているかは不明ですが)。
そんな二人には、実は一つだけ大きな共通点があります。それは、二人が共通して話すことができる唯一の言葉、つまり“関西弁”です。
「あんたが去ったとき 俺は振り返られへんかった
ハートがめちゃ痛い 追いかけ続けてしまいそうで怖い
あんたのマボロシ見てもうて 真実見つけに真っ暗な街を走ったで
記憶の中のあんたは 俺の心の中で光ってるで
ピカピカや」
ある日、聡実が『紅』の冒頭の歌詞を和訳したものを関西弁にし、それを狂児が読み上げるという場面があります。それぞれの生活や感情に深く結びついた関西弁で語られる『紅』の強い想いは、よりストレートに二人へ染みわたり、そしてその深さに共感するのです。
この場面は結局ギャグに転じてしまうのですが、聡実は狂児の『紅』の思い出に愛と悲しみを匂わされた時から「愛とは?」「狂児とは?」と考えるようになります。
そんな風にお互いを繋ぐ要素となっていた『紅』と共通点である関西弁が繋がったこの瞬間こそが、二人の結びつきをより強固にしたのではないでしょうか。
映画では『紅』が強調されていますが、原作では異なる描写もされており、二人の関係性もまた少しだけ異なります。映画と原作の両方を楽しむことで、和山やまワールドの魅力をより深く堪能できるかと思います。ぜひその違いを感じ取りながら、二人の物語に浸ってみてください。
(執筆:宮本デン)
宮本デン
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