【第2回】“象牙の塔”はマンガじゃなくて文章!?──画業50周年 マンガ家・竹宮惠子先生インタビュー(2/3)

【第2回】“象牙の塔”はマンガじゃなくて文章!?──画業50周年 マンガ家・竹宮惠子先生インタビュー(2/3)

マンガ家竹宮惠子先生。『風と木の詩(ウタ)』『地球(テラ)へ...』など、竹宮先生が世に送りだされた数々の作品は、連載開始から40年を経た今なお大勢の読者をトリコにし、読まれ続けている不朽の名作です。2000年からは、京都精華大学芸術学部マンガ学科(現マンガ学部マンガ学科)の専任教授に就任。2014年からは同大学の学長も務められています。そしてなんと今年(2017年)は、マンガ雑誌『COM』に竹宮先生の作品が掲載された1967年から数えて50年、“画業50周年”という節目の年でもあります。マンガ家として、教育者として、これまでの軌跡を振り返りつつお話を伺いました。

竹宮惠子先生インタビューの第2回目をお届けします。(全3回)
マンガ家から教授へ、片側に放っておいたもう一つの仕事に主軸を移し、さらに教授から学長へ──。マンガを教育するとは? 学術の世界で初めて分かったこととは?
これから大学を選ぶ人にはもちろん、学生じゃなくてももう一回大学に入りなおしたくなる? ユーモラスで魅力にあふれたトークをお楽しみください!


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マンガの必要性が私を育ててくれた

──マンガ家から大学教授になるにあたって、他人とのコミュニケーションの取り方は変わりましたか?

竹宮 私自身は、マンガ家になる前はとにかく言葉の少ない人間で、誤解されまくりというか、何を考えているか全然わからない人間だったのです。私だけに限らず、自分で充分に話せないからとにかくマンガを描く、マンガ家を目指すという人がほとんどだと思います。
ただ、ひたすらマンガを描いていくと、それ以外のところでやらなくてはならないことが出てくる。例えば『風と木の詩』は、雑誌に載せるために、たくさんの編集者と会って説得する必要がありました。

――いわゆる”モチコミ”をなさったのですね。

竹宮 そのおかげで、少なくとも編集者と会話ができるようになったので、マンガにおける必要性が私を育ててきてくれた、と思っています。
結局、自分の好きなことのためだったら何でもできる、ということでしょうね(笑)
編集者たちに否定されても、自分が引っ込めたらそこで終わりじゃないですか。だから“いいえ”と言わないと駄目だ、ということを、説得を進める中で学んだと思います。

──大学では、学科としてのカリキュラムをまとめる必要もあるかと思います。どのように作り上げたのでしょうか?

竹宮 学科を構成するストーリーマンガの描き手としては自分が看板でもあり、一番年長でもあったので、後輩の先生と二人で、ああでもないこうでもないと話をしつつ組み立てていきました。
新しい先生には、一からカリキュラムを説明して、全部理解していただいてから授業に参加してもらう、という方法をとりましたね。中でも一番よかったことは、一人一人に任せていないことでした。
全体が一緒になって一つのカリキュラムを構成しているので、一人が授業を受け持って、勝手にそこで終了することができない。他の先生に筒抜けなので、学生に対して「この言い方は良くない」なんてことが、すぐばれてしまう(笑)。

──密室ではなくオープンな授業体制になさったのですね。

竹宮 そのやり方を構築したのが、ストーリー分野(現マンガ学部ストーリーマンガコース)が一つになるいい方法だったと思います。

──さまざまな講師の方がいらっしゃいますが、どのように招聘されたのですか?

竹宮 自分の好みで集められるほど知り合いは多くないですから(笑)、他の人が紹介してくる人をどうやってまとめていくかに専念していましたね。
やはり大学の場合は人の出入りが常にあるので、むしろ新しい人が来た時にどうするか、新しい人が来ても、授業が同じように続けていけるというシステムを作るのが大事だなと考えていました。

──仕組みづくりですね。マンガ家のお仕事とは全然違いますか?

竹宮 いえ、アシスタントに関しても、同じ考えをしていましたね。システマティックに作り上げていく仕事の仕方、という点は同じです。
いつも同じ子が入れるとは限らないので、入れ替わりがあっても同じ成果が出せるようにしていました。
一日に仕上げるべき枚数はこれだけ、って張り出したり。
仕事を漠然と考えず、何枚仕上げられるという確実性がないとビジネスにはならない、という話をアシスタントにもよくしていましたね。
マンガは家内制手工業で、アシスタントはみんな若いし、自分の興味があることに走っちゃうし、アイドルの追っかけをしている子もいましたから、そこで私がずいぶん訓練されました(笑)。

逆境というのは楽しむこと──

──教授という多忙な日々の中で、ストレスを感じることはありませんでしたか?

竹宮 いえ、“ストレスにしない”というのが基本なので、全部言ってしまいます。逆に、逆境というのは楽しむこと、みたいな感覚ですね。

──島本和彦先生(※1)みたいです。

竹宮 ええ(笑)。マンガ家って結構ユーモラスな理解の仕方というのがあって、あまりにもひどいことが目の前で起きると逆に笑ってしまうんですよね。

──ではそのような「この状況シンドイ!」という時期はいつぐらいでしたか?

竹宮 一番苦しかったなあと思ったのは、学生の定員が倍増した時ですね。
(マンガ学科が)作ってから6年目に学部に昇格することになって、前々学長から「学部、できるよね?」と言われて「はあ? 本気ですか?」と答えたころです(笑)。
学部内に新しくできる他の学科の学生も教えることになるので、数が増えるんですね。実際は倍増ではなく1.5倍ですが、感覚としては倍増です。
もう事務処理作業だけでも大量で、成績を付けたり、提出物を見るだけでも、山積み状態。その時期がやっぱり一番大変だったかな。

──“教える“という仕事の中で、どこに喜びを感じられていらっしゃいますか?

竹宮 やはり学生がちゃんと成長して、数はそれほど多くないけれど、デビューしていけるというのが一番嬉しいですね。
私自身は大学に2年間しか居らずに辞めてしまいましたが、大学のよさは理解しているつもりです。
大学で何を学んだかなんて外からは見えないですから、学生が4年間楽しかったと言ってくれるだけでも、私はいいなと思っています。

──マンガ教育がスタートした2000年当時と2017年現在とで、変化してきたことはありますか?

竹宮 当時は、マンガが世界に向かって広がっていく時期で、業界が広がり続けていく印象がありました。でも今はどちらかというとマンガの業界は縮小傾向。デジタルは広がっているので、一概に利益上でしぼんでいるとは言えないですが、アナログはだいぶ狭くなってきている。時代に即していない、ということを感じざるを得ない状況ですね。

――マンガを取り巻く環境自体が変わったのでしょうか?

竹宮 出版社が新人マンガ家を存分に時間をかけて育てられない状況なのかな、と感じています。編集者の質の低下というよりシステムの問題で、出版社自体が大会社になってしまい、出版社の元にある編集プロダクションが対応している状況なのかなと思います。直接責任を持つ形が少なくなってきていますね。
学生にとっては超えなければいけない壁がいっぱいあります。私は直接編集者にぎゃあぎゃあ言っていましたからね。編集部に行って大きな声で争ったりなんてこともしましたけど、今出版社の中でそんなことする人はいないでしょう(笑)。

(※1)島本和彦……『炎の転校生』、『逆境ナイン』で知られるマンガ家。『逆境ナイン』は、次々と訪れる逆境を主人公たちが乗り越えていくスポ根ギャグ漫画。“これが逆境だ!“

マンガじゃなくて文章! 届くということの必要性──学術の世界で

──マンガの社会的な役割、地位の変遷ついてはどのように感じていらっしゃいますか?

竹宮 1970年代は、社会的な地位が低いというよりも、まずマンガが文化だと認められてないというところからでしたね。学術の世界だと、マンガをまったく相手にしない、むしろ相手にすると大変なことになると思われていたのではと思います。
ですが、大学でマンガを教える、いわゆる“マンガ教育”を定着させていくことは、必要なことだと思っていました。手塚治虫先生(※1)も「マンガはおやつから主食になった(※2)」”っておっしゃっていましたし。
マンガはもっと社会的に認められなくてはいけないとずっと思っていたので、私がそれに寄与できるのはすごく嬉しかったですね。

──実際に大学の中に飛び込んでみて、いかがでしたか?

竹宮 今では、学術としてやれるというところは、結構見えてきていると思います。面白いなと思ったのは、学術の世界ではとにかく文字に起こさなければ何も始まらないということですね。
口で言うだけで通じるとみんな思っていますが、そうではなくて、それが文字として書き起こされ、証拠になる形まで持っていかないと全然だめで、そこまで文章で説得するの!? というくらい必要なんだということを、大学で学びました(笑)。そこからすごくいっぱい書類を作りましたね。

──マンガを教えているのに、そのために文章を書かなくてはならないというのも面白いですね。ほかには如何でしょう?

竹宮 私たちが形作っているストーリー分野は、全員がやっていることが分かっていないとだめなシステムにしているので、とにかくいつも、みんなの動きをしっかり把握するようにしていました。そのためにグループウェア(※3)を、いち早く学内で使い始めましたね。
グループウェアだと書いたことがちゃんと記録として残るし、いつでも見られる。それにみんなが見ている中で発言をするので、メールのやり取りよりも、実際に会議をしている状態に近い。いろいろな本音が出てくるので、その記録は今読んでも面白いです(笑)。ちょっと隠してありますけど(笑)。

──記録に残ることが重要なのでしょうか?

竹宮 “届く”というのが大事だとずっと言い続けています。文字で起こすことの大事さをもうとにかくいろんな人に説いて回って、何か大学に訴えたいのであれば、とにかく文章を作れって、ずっと言っていますね。文章が残って、それが届いたらもう無視できないでしょう(笑)?

──文章の持つ力なのかもしれないですね。

竹宮 一方で、マンガの力、パワーというのもあると思うのです。

私たちが発見するよりも早く外国でマンガが認められ始めて、マンガの社会的文化的な地位という点ではむしろ外国の方が理解されていて、マンガに対する偏見がない。
例えば、私が『エルメスの道(※4)』という本を作ったときは、日本のエルメスジャポンが一番懐疑的だったようでした。逆にフランス本社のほうは盛大な出版記念会を開いてくれました。それこそ元首相夫人とかも来られたほどだったんですよ。顧客でしょうから(笑)。それくらい全く垣根がなかったですね。
でも、今では『エルメスへの道』を一番買ってくださっているのはエルメスジャポン(笑)。
新入社員を教育するのに使っていただいているそうです。しかも取材に来る記者さんにも配るらしいんですね。一日あったらそれを読んで、コアな質問ができるようになるって。

──マンガでわかるエルメス、ですね。

竹宮 はい。だからマンガの持つ“伝える”という力、その可能性を、機能的にもみるようになりました。

(※1)手塚先生……マンガの神様とも称される手塚治虫先生のこと。『鉄腕アトム』、『火の鳥』、『ブラック・ジャック』などの作品は誰しも一度は目にしたことがあるのでは。
(※2)おやつから主食に……手塚治虫先生によるエッセイ『マンガ空気論』(REED1974年1月号)
(※3)グループウェア……組織内でのスケジュールやタスクなどの共有やコミュニケーションを目的としたソフトウェアのこと。
(※4)エルメスへの道……『エルメスへの道』1997年中央公論社。約160年にわたる高級ファッションブランドエルメスの歴史を竹宮惠子先生がマンガ化した作品。

■まとめ

以上、竹宮惠子先生インタビュー第2回をお届けしました。竹宮先生が考えるマンガの”機能”とは?
最終回(第3回)は、2017年1月2日公開の予定です。
教育者として忙しい日々を送る中、マンガ業界の現状から学長以降のお話まで──。
ユーモアを交えながらも芯の通った熱いトークをお見逃しなく!

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イケメン編集部の日常コメディーマンガ「毎日が沼!」隔週金曜更新

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